絶 唱 ~紫陽花の砌に~

 久しぶりにペンを執りました。
お互いに音信不通になってから、もうずいぶん経ちますね。
そして本日は突然、不躾なお手紙を差し上げることをお許しください。

 不思議なものです。
おつきあいをしてた時は、一緒にいても、なかなかあなたの気持ちがつかめないで苦しい思いをしたのですが、離れていると冷静になれる所為か、あなたのお気持ちが手に取るように判るようになってきます。



 そう あなたが私と人生を共にすることを考えていらっしゃらないことが、離れた空間の隙間を通って少しずつ少しずつ伝わっています。
 燃える条件が整っている場合、火種があれば無条件に燃えるのが燃焼の原理です。
確かにお会いした頃は火種はありましたが条件が整っていませんでした。
でも、長い間かかってその条件を揃えてきて、やっと環境もそれなりに整った時点で肝心の火種が消えてしまったようです。
私たちは もう一度 初めからやり直す狂おしい情熱も、今から燃え上がる激しい青さも色褪せて、息絶え絶えの状態です。
がむしゃらに好きになって、胸を掻きむしるような愛しさに泣きながら寄り添い、愛した女にまっしぐらになるのが男なら、愛された男に尽くしきるのが女だと、あなたに教わってこれまでやってきました。でもこのままでは私はボロボロになってしまいます。



 思い出して下さい。
愛し合うとはお互いを見つめ合うことではなく、お互いが同じ方向にむかうことだとあなたは仰って、お食事をする時も並んで坐り、同じ景色を見て楽しみました。
向かい合ってお互いを見ながらお茶を喫むこともありませんでした。
 確かに、確かにいつもふたりは同じ風景をずっとずっと見つづけてきたと思います。
でもその時、ふたりの目線は常に平行ではなかったでしょうか?
見つめ合わないで、どうして相手の目の中の喜びや悲しみが判るでしょうか。
向かい合わないで、どうして相手の逡巡や躓きに気が付くでしょうか。
愛し合うとはお互いの感情の軌跡が交わり合い、絡み合うことではないでしょうか。



 あなたと離れて暮らしたこの幾年間、正直 何があってもどんな時も、私の心はあなたへの想いだけが日々の支えでした。
愛だの恋だのと気恥ずかしいことを言える歳でなくなっても、女の心の秘められた部分には、やはり甘酸っぱいものが残っています。
それを単に女の性(さが)だと片づけるのは 少し切ない気がします。
人は嘲うかも知れませんが、この身体も唇も あなたを憶えたまま老いてゆくんです。



 今、私・・こんな女でもいいと仰って下さる方がもしいらっしゃれば、一緒にいて、ささやかながら、その方に私が出来る精一杯のことをして差し上げたいと思うようになりました。
無理をしないただ普通の おだやかな生活がほしいと思うようになりました。
基盤の安定は女の本能です。そしてこれは私の本心です。
私はこの手紙で私の本音をあなたにお伝えしようとしています。



 あなたと知り合ってからの日々は本当にまぼろしのようでした。
この手紙はあなたからお便りが欲しいがためのものではありません。
私の絶唱とでもお受け取り下さい。ですからこれを最後の便りと致します。
あなたも決して私にお返事などお書きにならないで下さい。
身のほどをわきまえぬ女からの・・長い長い三下半なのです。
遠い空の下、あなたのお幸せをいつもお祈りしています。
最後に、あの日あなたが綺麗だと仰っていた紫陽花、こっそり撮っておいたものを同封いたしました。
こんな綺麗な紫陽花はあの時 私もはじめて見ました。
さようなら さようなら私の大好きだったあなたへ。



※三下半(みくだりはん)・三行半=江戸時代、簡略に離婚事由と再婚許可文言とを3行半で書いたからいう。
夫から妻に出す離縁状の俗称。<広辞苑より>


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