いただきます
 あゝ、ここんところ猫の手も、犬の手も借りてもまだ足りない。
基本的に外食はしないタチやけど、こう忙しいとそういう訳にいかん。
それで、最近なじみのご飯屋さんができた。
 安くてうまい。うちの近くにこんなええ店があったん知らんかった・・・。
そのお店の壁に、当時小学生だった女の子の文章が筆書きされてある。
行くたびに読んでいるので文章を憶えてしまった。
それを書いた彼女の純真さがぼくはうれしくなる。
それで、その内容をここに記録して残しておこうと思った。
でも彼女の本名を無断で載せるのは・・まずいやろなぁ。



     「いただきます」

ごはんを食べる時、手を合わせて、
「いただきます。」って言わねばなりません。
母は私にそう教えてくれました。
それはどうしてでしょう。
母は「生きものを食べなければ死ぬ。」
これは法則だ。法則に例外はない。とも言いました。

人間はごはんとか、パンとか牛肉、お魚、お野菜とか――
そういうものを食べます。
よく考えてみて下さい。
ごはんはお米のいのちです。
パンは麦のいのちです。
牛肉は牛のいのち。
お魚もお野菜もみんな生きていたのです。
そういうもののいのちを食べて人間は生きているのです。
だから生きるということは、殺しているということなんです。
だから手を合わせるのです。
だから必要以上に食べてはいけないのです。
必要以上に食べれば、必要以上に殺すことになります。
人間はお米や麦やお野菜、牛やお魚のいのちで生かしてもらっているのです。
こんなふうに母は教えてくれました。
私は本当だ!と思いました。

「気持ち悪い。」って言った人もいるけれど、
私にはよくわかりました。

ごはんを食べる時、
手を合わせて「いただきます。」って言うのは、
「あなたのいのちをいただいて生かしてもらいます。」って言うことなんです。

                         平成14年3月
                         小学6年 青○ 由○子
ねじ花
 ほたるの頃 ねじ花が咲きます。
ピンク色でもなく、もも色でもなく、桜貝色の小さな金平糖みたいな花が
螺旋状にねじれて咲きます。
朝顔の蔓(つる)は進行方向に右巻なんですが、ねじ花は面白いことに
巻く方向に法則がありません。
右巻きもあれば左巻きもある。
人間の頭の旋毛(つむじ)みたいなもんです。
ところがなかにはどっちにもねじれない、つまり、まっすぐに咲くひねくれたねじ花もあります。
まっすぐに咲くけど・・それはへそ曲がりです。

ア ナ タ

2014年7月3日 随想
ア ナ タ
 昭和47年元旦、
南極は昭和基地の第1次越冬隊に、日本の家族から寄せられた電報で、
隊員みんなが一様に無口になったという一通の電文があります。

 それは「ア ナ タ」の三文字でした。
簡素でありながら、万感 胸にせまる言葉で、あらゆる想いが凝縮されているようです。

はるか遠く離れた人に、たった一言の「ア ナ タ」。
紫陽花の花の色
 紫陽花は土壌のPhによって、花の色が異なると聞いた。
酸性の土壌では青色の花が。
アルカリ性の土壌では赤色の紫陽花の花が咲くと言う。

 そこで枝を切って、活けた白い柏葉紫陽花の花瓶の水に、
コップ一杯の酢を入れて、花の色の変化を観察してみた。

 一週間、元気に咲いていたけれど、色は少しも変わらず、枯れてしまった。
今、ドライフラワーにしているけど、部屋が酸っぱい匂いがする♪  d^^

うぅ~~~ん、なんで色は変わらへんかったんやろぉ・・・?

七 夕
 七夕はちょうど梅雨時期なので、雨の日が多い。

 7月6日の夜雨は「洗車雨(せんしゃう)」と言って、
牽牛が織女を迎えに行く牛車を洗っているから降る雨だそうだ。
そして七夕、当日の雨は「酒涙雨(さいるいう)」と呼び、
ふたりが一年に一度、逢うことが叶わなかって流す悲しみの涙とも、
逢瀬の後の惜別の涙とも喩えられている。

 さてぼくたちが、大好きな人に年に一度しか逢えなかったとしたら、
どんな気持ちを持ってその日を迎えるだろう。
そしてもし逢えたら、どんな想いでその人を抱きしめるだろう。
どんなプレゼントを用意して、募った想いを形として伝えるだろう。
一年ぶりに逢ってデートするなら、雨の中どんな処へ行くだろう。
そして別れる時は、どんな言葉を交わし、どんな想いで見つめ合うだろう。
どんな~~だろう・・・ばかりになる。

 さあ、今年も願いを込めて、笹の葉に短冊を結ぼう。

葉 隠

2014年6月28日 随想
葉 隠
武士道とは(人のために)死ぬことと見つけたり
恋の至極は 忍ぶことと見つけたり
http://www.st.rim.or.jp/~success/hagakure_ye.html

究極の恋は、相手に告白しないことである。
本当の恋は、告白しないで相手を守ること。
いざとなったら、相手のために死ねること。
こころざしが低くければ、本当の恋は出来ない。



声はせで 身をのみ焦がす蛍こそ
言うより勝る思いなるらめ   《源氏物語 第二十五帖 ”蛍 ”》
BUSHIDO The Soul of Japan
 日本の学校には、諸外国のように宗教教育がない。
では日本人は何をベースに、子弟子孫に道徳教育を教えるのか。
国教のない日本で、善悪の観念を授ける宗教以外のものとは何か。

 わが国には、親から子に、子から孫に、年長から年少に伝えてきた無形の道徳教育があり、人の道たる教育は、学校で教えるものでも、教わるものでもないとしている。

「きちんと挨拶をする」
「家族を大切にする」
「弱い者いじめをしない」
「恥を知る」
「人を裏切らない」
「恩を忘れてはいけない」
「我慢する・堪え忍ぶ」
「矜恃に生きる」
これらは「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」の精神である。



 実はこれらは「武士道」の道徳律なのだ。
宗教教育のない日本には、これが精神の基本となっている。
「武士道」には教本がない。
教本によらずとも日本人は、これを自然な形で受け入れ、それが道徳となり、日本人の行動の美学となっている。

 武士道の精神は、ひとりの特定された人が編出したものではなく、日本の武士社会の成長とともに、口伝えされて格言のようになったもので、侍だけでなく、広く一般庶民にも浸透し、やがて歴史の中で、「大和魂」すなわち日本の魂となっていった。
 キリスト教における聖書や、仏教における経典のような成文化された書物があるわけでもないのに、この自己規律の不文律は、何百年にわたって日本人のDNAに刻まれ受け継がれてきた。

 「武」とは「戈(ほこ)を止める」と書く、と教えられた。
だから真に強い者は戦わずして勝つ、とも教えられてきた。
その精神を「武士(もののふ)」と言う、と日本人なら普通に理解できるし知っている。



 東日本大震災における日本人被災者の立ち居 振る舞い、
不可避なものへの静かな服従、災難を目前にした時の禁欲的な平静さ・・・
我々日本人は、書いた書物はなくても「どう行動すれば人間は美しいのか」を本能で認知している。

3・11。
世界で古今未曾有の災害に遭っても、日本武士道は崩れなかった。
佐渡情話

台本:寿々木米若(浪曲師)
潤色:六魯

● ○ ●

 昔むかしのお話です。 
佐渡ヶ島に住む漁師の娘が、たまたま越後に渡った時、柏崎で一人の男と知り合いました。
娘の名をお弁。男を藤吉といいます。
 島へ戻っても 彼女は一日として藤吉のことを忘れることが出来ません。
「どうせ身分の違う方と一緒になることなど、出来やしない」と自分に言い聞かせてみても、
日に日に男に逢いたい気持ちはつのるばかり。
でも海の上を歩いて行くわけにはゆきません。
それに許可なく島を出るのは禁じられています。
彼女は内緒で越後に行ってくれそうな舟をあたってみました。
でもそんな御法度な頼みを聞き入れてくれる漁師など一人もいません。
「あの人に一目でも逢えたのなら、もう死んでもかまわない」とまで思いつめてしまいました。



 ある晩のこと、お弁はたらいに乗って沖に出ました。
はるかはるか向こうの柏崎番神岬の常夜灯がぽつんと見える・・・。
彼女は両手で水をかきながら常夜灯を目指してたらいを漕ぎ始めたのです。

 夜明け前に やっと越後柏崎の浜にたどり着き、藤吉の家に走って行きました。
激しく戸を叩く音に、何事かと藤吉が外に出てみると、ずぶ濡れのお弁が立っています。
彼女は いきなり藤吉の胸にとび込み顔をうずめました。
「会いたかった」それしか言葉になりません。ただ涙がぽろぽろとこぼれるばかりです。
「おまえは お弁。よく来てくれた」藤吉は彼女を抱きしめました。
思ってもいない娘が突如 目の前に、そして腕の中に・・・、驚きよりも愛しさです。
でも、こんな時でも男は欲情するものでしょうか。
それを抑えながら抱きしめていると、どこかで一番どりが鳴きました。
お弁は はっとして顔を上げます。その時にはもう東の空が白くなり始めていました。
「帰らなくては・・・ 」
「だって 今 来たばかりじゃないか」藤吉は彼女を離そうとしません。
「明日また来る。今度はもっと早く来る」お弁は男の手をふりほどき、浜辺へと急ぎました。

 浜辺には たらいが一つあります。
「まさかお前、このたらいで?!」藤吉は驚いて訊ねました。
彼女はこっくりと頷き たらいに乗ります。
「明日 待っているぞ。 きっとだぞ」
遠ざかっていくお弁に向かって、藤吉は手を振って見送りました。



 お弁は次の日、夜の明けないうちに、たらいでやって来ました。
二人はせきをきったように激しく愛し合います。
ひと時の、だがお互いの求めに応じた逢瀬にお弁は満足して、晴れやかな笑顔で島へもどって行ったのです。
 それからというもの彼女は毎夜欠かさず、藤吉のもとへ通い続けました。
彼女は幸せでした。
死んでもよいと思う覚悟が彼女を幸せにしているようです。
男に逢えると思えば、四十九里の波などなんでもありません。

 ところが 最初のうちは 彼女の気持ちをうれしく思っていた藤吉も、毎夜毎夜やってくる女が、しだいに煩わしくなってきました。
「毎日というのも大変だ 。たまには休んだらどうか」
それとなく言っても彼女は承知せず「たとえ海で溺れて死んでもかまわない。こうしてあなたと逢えるのだから」と微笑むだけです。
 好きな男に抱かれた女は、日々抜けるように美しくなってゆきます。
でもお弁の手は波に洗われて痛々しいほど白くふやけ、顔は青ざめ髪は乱れて、血走った眼だけが輝いています。
それはもう鬼のようです。

 そのうち藤吉は浜に出迎えるのも面倒になってきました。するとお弁は家まで追いかけてゆく。
「なんとしつこい女だろう」彼はいよいよお弁がうとましくなってきました。
だが彼女は天にものぼる想いで、今では藤吉に逢うためだけに生きているようなものでした。
「いったいどうすればいい・・・」藤吉は頭を抱えてしまいました。
ふいに[女]へわけのわからない鬱陶しさがわいてきたのです。
「そうだ!いいことがある」藤吉は彼女がいつも常夜灯を目指してやってくることを思い出したのです。
 ある晩のこと、藤吉はお弁がこれから沖に出るだろう頃を見はからって、岬の常夜灯の灯を消したのです。
しかしその頃すでにお弁は沖に出ていて、夢中でたらいを漕いでいました。
彼女は、はっとして手をとめたのです。
「どうしたのかしら」しばらく常夜灯の点いていた方を見ていましたが、再び灯が点く様子がありません。
目指す灯りがなくては どこへ行けばいいのか、わからなくなってしまう・・・。



 真っ暗な海の中で聞こえてくるのは波音だけ。
運悪く その夜は星ひとつ出ていませんでした。
お弁は必死にたらいを漕ぎました。
だが 行けども行けども波ばかり。
そのうちに風が出てきて たらいが激しく揺れ始めました。
波はいよいよ高くなっていきます。
気がつくと、たらいには半分も水が溜まっています。
かい出そうにも 手を離すことが出来ません。
手を離せば たちまち海へ 転げ落ちてしまいます。
「だれか~~!! 」お弁はたまらず大声を上げました。
しかし、その瞬間 大きく盛り上がった波が彼女もろともたらいを飲み込んでしまいました。

 次の朝、海は夕べの風が、うそのように 凪いでいました。
波を紅く染めて 陽が昇り始めます。
「久し振りに ゆっくり休めた。しつこい女だったなぁ・・・。常夜灯さえ消しておけば、これからはやって来ることはあるまい」藤吉は ほっとして海辺にやって来ました。
 すると波打ち際に 誰か女の人が倒れていました。
長い髪が波に洗われ ゆらゆらと動いています。
藤吉は はっとして女のそばへ駈け寄りました。
「あっ!!」なんと それは変わり果てたお弁の姿です。
美しい顔がうらめしそうに、歯をくいしばっていました。

● ○ ●

 この物語は民話を浪曲の台本として、寿々木米若が書いて有名になったものです。
事実あったことが伝承過程で、少しずつ物語化してゆくのが民話の特徴です。
 この話の発祥は江戸時代から遅くても明治初期のものではないかと思われます。
季節のほどは定かではありませんが、北緯38度の日本海のことですから、真冬というのはちょっと考えにくいです。
 そして民話には、たぶんに教訓がふくまれています。
では、このお弁の恋に死ねる情念はわれわれに何を語ろうとしているのでしょうか。
まさか四十九里も先の常夜灯の灯が見えるとも思えないし、たらいに乗って日本海の荒海を一夜にして越後に漕ぎ着くというのは非現実的です。
では常夜灯もたらいも何かの比喩なんでしょうか。
もし比喩であれば、いったい何の比喩なんでしょうね。

2014年6月23日 随想 コメント (5)
【徒然草 第175段】
百薬の長とはいへど、萬(よろづ)の病は酒よりこそ起れ (吉田兼好)

【解釈】
 世間には、理解に苦しむことが多い。
何かある度に「まあ一杯 飲め」と無理に酒を飲ませて喜ぶ人がいるが、あれはどういうものだろう。
 飲まされる側は「もう堪忍してぇや」と顔をしかめ、誰も見ていなかったら盃の中身を捨ててその場から逃げるつもりでいても、それを捕まえ引き止め無理やりに飲ませる。
こうなると育ちの良い人でも、突如として理性をなくしてしまう。
いくら普段は健康な人といっても、一気飲みなどすると、突然前後不覚になって倒れてしまう。
これが祝いの席だったらもう大惨事だ。



 翌日は二日酔いで、食欲が無くなり、うめき声を上げながら寝込む。
生きた心地もせず、飲んでいた時の記憶などまったくない。
大事な仕事のアポも全部キャンセルし、生活にも支障をきたす。
酒を飲ませてこんな目に遭わせるヤツは、人に対する思いやりなどがあるとは思えない。
そのつらい目に遭わされた本人は、恨みつらみでいっぱいだろう。
もし、日本にこういう風習があると知ったら、外国の人はこの異文化の違いを不気味に思うに違いない。



 まあ他人事だと言えば他人事なんだけど、酔っぱらいは傍で見ていて嫌になる。
理性があり真面目そうな人でも、ひと口アルコールが入ると、馬鹿のように笑い出し、大声で喋り出す。
髪形は乱れ、ネクタイを弛め、靴下を脱いでスネ毛を風にそよがせる。
普段のその人からは想像できない醜態だ。

 女の人が酔えば、前髪をバサリとかき上げ、恥じらいもなく大口で笑い、男の盃を持つ手にまとわりつく。
もっとひどい女の人になると、傍にいる男の人に食べ物をくわえさせ、自分もそれを食べ始める。
自分のやっていることが判っているのだろうか。
無意識の行動には潜在的な欲求があるというから恐ろしい。
そして、声が潰れるまでカラオケで歌い、または身体をよじって踊る。
この見るに堪えない状況を、喜んで煽り立てる男たちがいるということ自体 鬱陶しい話だ。



 職場の酒席などでは酔えば傲慢になる上司もいる。
自分がいかに人格者であるか、端から聞きけば噴飯もののような蘊蓄を演説し、仕舞いには泣き上戸になる人もいる。
その部下たちは罵倒し合い、小競り合いを始め出す。
ここまで酔えば迷惑この上ない。
挙句の果て飲み屋の階段から落ちたり、帰りの車やプラットフォームから転げ落ちて怪我をする人もいる。
車に乗らない人は表通りを千鳥足で歩き、塀や道路にゲロを撒き散らす。

 酒は、事故を招き、財産を奪い、身体を貪るのである。
「酒は百薬の長」と言うが、多くの病気は酒が原因だ。
また、「酔うと嫌なことを忘れる」と言うが、それはただ単に悪酔いしているだけのように思えてならない。
酒は脳ミソを溶かし、気化したアルコールは業火となる。
邪悪な心が広がって法を犯し、死後には地獄に堕ちる。
「酒を手にして人に飲ませれば、ミミズやムカデに五百度生まれ変わる」と仏は説いている。



 以上、酒を飲むとろくな事がないと説いたが、なにも酒が悪いのではない。
責めるのであれば、酒を飲む人の心掛けを責めるべきである。
月見酒、雪見酒、花見酒・・・。 人生の宴は酒とともにあるといってもよい。
存分に語り合って、盃をやりとりするのは、至高の喜びだ。

ひねもす徒然なる折に、朋有り遠方より来たれば、酒ありて亦楽しからずや。 

頁を繰る ~春秋暑寒~
 学生の頃、お城の堀川沿いに、レンガ造りの『ポトス』という古びた喫茶店があった。
そこは、ぼくたち勉強しない不良学生どものたむろする場所になっていた。
老夫婦がやっていて、じいさんのマスターのドリップする珈琲がめっちゃ美味かった。
二階には古い黒いグランドピアノが置かれていて、時々ジャズの生演奏がある。
ぼくのいつもの指定席から見える正面の壁には藤山寛美さん直筆の額が掛けられていた。
 そこのママさんはいつも床を掃くような黒いロングスカートに厚化粧、緋より赤い口紅。
薄暗い店の中で見る彼女は年齢不明で、絵本の『白雪姫』に登場する魔法使いのお婆さんそのものであった。



 彼女はぼくに言ったことがある。
「いっかいの人生でも、男は自分の武勇伝を語れなあかんで」
「一回の…」と言いたいのか、「一介の…」と言いたいのか訊かなかった。
でもその意味深な言葉は、学校で学ぶさまざまな勉強より刺激的で、人生におぼろげな夢を抱かせてくれた。
 貧乏学生で珈琲代はしょっちゅうツケをしていたけれど、イヤな顔をされたことがない。
アルバイトのお金が入った時など、たまにツケを払うと、
「学生は貧乏がええ。お金を持ってる学生は碌でもない」と、
一本しかない前歯の笑顔で、魔法使いのお婆さんのように言ってくれた。



 ずいぶん大人になってから一度訪ねてみたが、もうそこにポトスはなくなっていた。
「いっかいの人生でも、男は自分の武勇伝を語れなあかん」
意味はおぼろげであっても、今でも聴こえるように憶えている。

登り坂 降り坂あり 富士の山 (藤山寛美)



2014年6月22日 随想
 人間がそうであるように、鬼にも、いい鬼と 悪い鬼がいるようだ。
「こぶとりじいさん」に登場してくる鬼は、どこかユーモラスでいい鬼として描かれているし、
「桃太郎」は「鬼退治」という表現がされているように、きっと悪い鬼なんだろう。
そしてなかには、悲しい鬼もいた。



 ある赤鬼の話。
 山に住んでた赤鬼は人間と友だちになりたいと思っていた。
それを知った神さまは、その赤鬼に対して、夜明けまでに100段の階段を作れば人間と友だちにしてやると言った。
赤鬼は99段まで積み上げたが、疲れて眠ってしまい、やがて夜明けとなる。 
神さまは笑って赤鬼に言った「残念だったのう、またの機会に頑張ることじゃ。あっはっはっは~~♪」
赤鬼は人間と友だちになれなかった悲しみに泣いた。
人間たちの役に立つことによって人間の仲間入りをしたいと思った鬼、
その心情を巧みに利用して鬼に奉仕をさせた神さま。
結局、赤鬼は赤鬼でしかなく、人間の仲間に入れてもらえなかった。

 それでも赤鬼は、人間たちと友だちになりたいと考えて、自分の家の前に、
「心のやさしい鬼の家です。どなたでもおいで下さい。
おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」
と書いた、立て札を立てました。

 けれども、人間は疑って、誰ひとりとして遊びに来ませんでした。
赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、
おしまいには腹を立てて、立て札を引き抜いてしまいました。
そこへ、友だちの青鬼が訪ねて来ました。
青鬼は、わけを聞いて、赤鬼のために次のようなことを考えてやりました。

 青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。
そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。
そうすれば、人間たちにも、赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう、と言うのでした。
しかし、それでは青鬼にすまない、としぶる赤鬼を、青鬼は無理やり引っ張って村へ出かけて行きました。

 計画は成功して、村の人たちは、安心して赤鬼のところへ遊びに来るようになりました。
毎日毎日、村から山の赤鬼の家へ、三人、五人と連れ立って来るようになりました。
こうして、赤鬼には人間の友だちができました。赤鬼はとても喜びました。
しかし、日が経つにつれて、気になってくることがありました。
それは、あの日から訪ねて来なくなった青鬼のことでした。

 ある日、赤鬼は青鬼の家を訪ねてみました。
青鬼の家は、戸がかたく閉まっていました。
ふと気がつくと、戸のわきには貼り紙がしてありました。
そして、それに何か字が書かれていました。
「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らして下さい。
もしぼくがこのままきみと付き合っていると、きみも悪い鬼だと思われるかも知れません。
それでぼくは、旅に出るけれども、いつまでもきみを忘れません。
さようなら体を大事にして下さい。どこまでもきみの友だち、青鬼。」

赤鬼は黙ってそれを読みました。二度も三度も読みました。
そして戸に手をかけて顔を押し付け、大声で泣きました。



 日本のおとぎ話やマンガで描かれた鬼は、必ず頭に角があって、トラのパンツを穿いている。
なぜなんだろう・・・。
それは『鬼門』という方角に答が隠されていた。
鬼門とは陰陽道で、鬼が出入するといって、万事に忌み嫌う方角の東北、
すなわち「丑(うし)・寅(とら)」の方角。
つまり『鬼門』・・・丑(牛)だから頭に角があり、寅(虎)だからトラのパンツを穿いているのだ。
不思議なのは、こんなことをいったい誰がいつ、最初に考えついて、それがポピュラーになったかということだ。 





【LAST LOVE】 著:柴田よしき
 『LAST LOVE』なのに、読み始めてから読み終えるまで、
ずっと頭の中を竹内まりあの『Single Again』がリピートしていた。

 読み終わって最初のページに戻り、改めて著者名を確認した。
柴田よしき? 男性の手によるものかと思って読み始めたが、
感性はまさに女性の視点そのものであった。
すごく迫力のある作品だな・・・とは思うけれど、
それだけにもう一度読み直すには精神的体力を伴うものである。
時間をあけてからにしようか。

 女が男への未練を捨てる感覚を、彼女は作品の中でこう表現している。
「全部まとめてドラッグして、ゴミ箱に放り込んで、『ゴミ箱を空にする』を選んで、
画面から消してしまわなければ」と。



 でも現実は、ゴミ箱を空にしても、ハードディスクのどこかに破片の一部が
紛れて残っていたりするもんです。
パソコンの中に紛れたデータは修復しなければ取り出せないけど、
心の中の端っこに押しやったデータは、 取り出すつもりもないのに復元修復されて、
破片が胸に突き刺さって痛むことがある。
脳が勝手に右クリック、『ゴミ箱を開く』を左クリックしている・・・。



 命がけで惚れたのなら、命がけで忘れる。
それもひとつの愛のあり方なんだと、ぼくは個人的にそう思っている。
「愛」の反意語は「憎」のようですが、違います。
「愛」の正しい反意語は「無視」です。
「憎」は時々「愛」と同義語になるときがあるんです。
そうです、胸が痛くなるのはその時なんだ。 

恋が終わる時、どちらか片方だけが傷ついているってことはない。



私は かもめ

2014年6月17日 随想
私は かもめ
 1963年 女性初の宇宙飛行士となった旧ソ連の テレシコワ,V.V.が、宇宙から発した言葉この「私は かもめ」は、その女性らしい感性と表現で、世界中の人々を感動させた。

 ところが実はこの「かもめ」というのは、そのミッションで与えられた彼女のコールネーム「チャイカ」(Ча́йкаかもめ)だったのだ。
つまり彼女は自分のコールネームを使って「こちら かもめです」と発信したに過ぎないのだが、それを世界中の人々が勘違いして感動したのだった。



 しかしぼくはあえて勘違いしたままでいたいと思う。
「私は かもめ」その詩的な誤解に不思議な魅力を感じる。
ロマンチックな勘違い、大いにしようじゃない!!!



病院事件簿(2) 『老婆のお尻』
 もうひとつ入院していた時の病院での話。
季節は12月。暮れも押し迫った病室の窓を、凍てつく風が口笛を吹いて通り過ぎてゆく夜。
時刻は2時過ぎ、いわゆる丑三つ刻。

 その晩に限ってぼくは寝付きが悪く、なかなか眠れなかった。
昼間にお見舞いに来てくれた客と飲んだ2杯のコーヒーが因果かトイレを催してきた。
コーヒーに含まれる成分には、覚醒作用と排尿を促す作用があるのかも知れない。
こんな夜中に、し~んと静まり返った薄暗い廊下をひとり歩いて、トイレへ行くのはイヤやなぁ~。
怖いなぁ~。なんぼええ歳したおっさんでも、夜中の病院のトイレは気味が悪い。
その病院は前記の如くの大病院。でも病気や怪我の人ばかり何百人も入院していると、一日に何人かは亡くなられる方もいらっしゃるわけで・・・。



 ・・・そんなことを考えながら、トイレのドアをノックして開けた。
すると・・・誰もいないはずの真っ暗な個室の便座に、ひとりのお婆さんが座っていた。
驚きも度を過ぎるともう声が出ない。
心臓が瞬間凍結したって隠喩はあんな時に使うんやと思う。
ただ呆然と立ってぼくは身体が固まったままそのお婆さんを見ていた。
彼女は便座に座ったまま無表情でぼくを見上げていた。
女の人も歳を取ると羞恥心が麻痺してしまうのか、その表情から羞恥も動揺も受け取れなかった。
しばらく見つめ合っていたけれど、ぼくにはすごく長い時間のように感じた。
「こんばんは・・・」 そんな挨拶しか出来ず、すぐにドアを閉めた。
「ごめんなさい」って言わなあかんやん! って思ったけど・・・アフターフェスティバル(あとの祭)。

 そのトイレには電気のスイッチがない。
人の動きや気配をセンサーが感知して、電気が点いたり消えたりするので、何分間か身動きもしなければ、自動的に電気は消えてしまうのだ。
彼女は用足しに没頭して動きを忘れたのか、用を足しながら眠ってしまったのか・・・。
でも中から鍵くらいは掛けておいて欲しいもんや!



 ああ・・・歳の暮れに大変なものを見てしまった。いたいけな老婆のお尻を。
(ん?「いたいけな」ってこんな時に使うんやったかなぁ?)
ところがその後、その病棟で彼女を見掛けることは一度もなかった。
いや、ぼくが言うようなそんな歳格好のお婆さんはその病棟には入院していないとナースは言う。
じゃあ、ぼくがお尻を見たあのお婆さんは一体・・・いったい誰やねん!!




病院事件簿(1) 『炭パック事件』
 2003年12月。
そこは入院患者400人以上は収容出来るこの地方では最も大きな病院。
突然の事故で頸の手術をすることになったぼくは、その年の暮に急遽そこに入院した。
外科病棟の患者の大抵は、患部の痛みがなくなれば、退院までは傷が癒えるのをただ待つだけの暇人である。
リハビリに汗を流す人もいるけれど、持て余す時間を読書に費やす人も、ひねもすテレビを観て過ごす人もいる。
人それぞれの入院生活の過ごし方、暇のいじくり方がある。
他の患者さんに迷惑が掛からなければ、何をしていても取り立てて誰にも何も言われることはない。



 年も明け、1月の雪のしんしんと降るある夜。
眠れぬ徒然の退屈しのぎに、昼間に売店で買った美容パックを顔にした。
男やから美容目的なんかではなく、あくまでも暇つぶし。
いやそれはテレ隠しで、ほんまは顔の皺の一本でもなくなればいいと思ってやった♪  d^o^
ゲル状の備長炭の上等の炭パックで、色は真っ黒。
なんぼ暇つぶしやからというても、男が昼間っから顔にパックするには勇気が要る。
それも四人いる病室でするのはさすがに・・・ぼくにはそんな根性はない。純情やから。
夜にやった♪ ^o^y



 夜中やったから、誰も見ていないことを幸いにそのままトイレに行った。
そして出てきて廊下の角を曲がった所で・・・偶然 懐中電灯を持って巡回中のナースと出くわした。
炭パックで真っ黒になっているぼくの顔を、電灯でスポット状態で照らして・・・そして大声で・・・
「ぎゃあああ~~~~!!!」 
その声にはこっちの方がびっくりした!
病棟は大パニックになった。
警備員が飛んで来るゎ、入院中の患者さん達が集まって来るゎ、夜中にどえらい騒ぎになってしまった。



 あくる朝、看護師長さんに呼び出されてぼくはすごく怒られてしまった。
「今度あんなお騒がせをしたら、強制退院してもらいますからね!」
ぼくは咄嗟に「すんませんでした」と言ったんですけど、
ほんまのことを言うと、なんで怒られなあかんのかよう解らんかった。
あのナースも、何もあんなに大きな声でビックリせんでもよさそうなもんや。

 あれから10年経った。
たまにその病院に行くことがある。
あはは・・・あの事件のことは語り継がれて、今ではぼくはその大病院の伝説の人になっている。


ウンコ事件

2014年6月13日 随想
ウンコ事件
 むかしは・・・といっても つい最近まで
食べ物 とりわけ野菜が今ほど衛生的ではなかった
畑には下肥(しもごえ)を撒いて野菜を育て
食べたもの出し それを肥しにして育てた野菜をまた食べる
この繰り返しの 原始的な完全循環有機農法であった
下肥は人糞尿の肥料で 農薬は使っていなかった

それがため 人のお腹の中には 色々な寄生虫が宿っていた

今はもう学校でそんなことを実施しなくなったのかなぁ
むかしの小学校では一年に一回は校内一斉に検便があって
家で採取した自分の便を 何かの容器に入れて学校に持って行くのだった

その検便にまつわる話をしてみよう



 もう30年も前のお話

ぼくの実家のお向かいに 当時小学校一年生になる男の子がいた
(今もいる もう35、6歳になるはず)
名前をカズヒサくんという

学校から検査のための検体( ウンコ )を
翌日持ってくるように言われていたらしい

カズヒサくん 帰宅して考えた
「朝になってから 急にウンコしようとしても
もし出なかったり ビチクソやったら困るから今の間にしておこう!
ウン!備えあれば憂いなしや!」
 
そこで カズヒサくん 小指の先ほどの量のウンコを容器の中に入れて また考えた
「朝までこのままにしていて もしもこのウンコ 腐ったらあかんから冷凍庫に入れとこう!
ウン!ワレながらエエ考えや!」
そして 冷凍庫の中の食品の間にウンコの入ったその容器を押し込んでおいた
 


 はたして翌朝 冷凍庫から かの容器を取り出して 振ってみてるとコロコロと音がする
「あらら~? このままやったら学校に持って行かれへんなあ・・・
解凍せなあかん! おお!そうや!電子レンジや!
チンとイッパツ解凍ルパン!」
  
 その時 カズヒサくんのお母さんは 朝ごはんの用意をしていたんやけど
電子レンジから妙なにおいがするので 驚いてレンジの扉を開けた
その瞬間 加熱された かのウンコは 強烈なにおいが台所といわず 家の隅々まで充満した

お母さんは大声で 「ちょっとぉ!! カズヒサ!
この子は一体 何したんよ! 何よ このにおいは!
いったい何をチンしたん!」

カズヒサくん お母さんが なんでそんなに怒るのか いっこうに解らない
こたえて曰く「ウンコやけど・・・?」
そして事の一部始終をお母さんに説明した
お母さんはカズヒサくんの言うことに あきれていたけれども
彼の言い分にも一理あり 呆れてしまって
「凍ったウンコはレンジでチンするもんやない 湯戻しするもんや!」と言ったという

 ちなみに その日の朝食は誰も食べる気がしなかったらしい
このお話はノンフィクションであり 登場する人物は実在します







律儀に

2014年6月9日 随想
律儀に

朝顔の花は萎むのではなく
五角形を折って
正しくたたんで収納されていきます




帰り花(1) Soon and soon

 季節はずれの花を「帰り花」と言います。
「狂い花」とか「狂い咲き」という言い方もありますが、
「帰り花」という大和言葉に日本語の美しさを感じます。

 環境に惑わされて咲いた花のようですが、それは違うと思います。
花には花の意志があって、咲こうとして咲いたんだろう、
どうしても、その時に咲きたかったんだろうと思うんです。
きっとわけがあったに違いない。

8.9事件

2014年5月30日 随想

 瞬間接着剤は、もともと外科手術の縫合の糸の代わりとして開発されたものだという。
なるほど頷ける。
 その日の朝、この接着剤を使うことがあって・・そして誤って、親指と人差指が付いてしまった。
それも左右両手とも。なんとマヌケな・・・。
 注意事項に、そんな時はすぐに湯で洗い流すようにと書いてある。
やってみたがはがれない!! 無理矢理はがそうとすると痛い! どないすんねん!



 それから14時間が経過・・まだはがれない。
それでもなんとか仕事も出来たし、車もちゃんと運転して買い物にも行って来た。
 これくらいのことでは日常生活に大きな支障はないけれど、買い物でお釣りをもらう時、手を出せばお地蔵さんみたいでカッコ悪かった。
 ずっとこのままの状態で人生を過ごすことになったら、色々と不便なことが起こるだろうと予測される。
たとえば・・人から道を尋ねられるようなことがあっても、指をさして教えられへんとか・・・。
 事実、今こうしてキーボードを打っていても、やりにくくて仕方ない。
これは内緒やけどトイレではちょっと苦労する。
でも、こういうことに関してだけは、おれはけっこう律儀で努力家やから頑張っている。



 それから・・まる一日 経った。
 指が常にOKサインをしたままなので、どうも生活に違和感がある。
親しい友だちに電話して「くれぐれも内密やけど・・・このお地蔵さんを何とかしたい」と相談すると、
「何やってんねん!アホか♪」と笑われた。
そして「有機溶剤のアセトンを使え。なければ市販の除光液でもええ」とのことやった。
人の不幸を笑うな バカちんが(涙)
しかし対処法に詳しいなぁ・・・ひょっとしてお前も経験者か?

2010.8.10 記


六条御息所
あゝ 戀とは・・・
わたしの中にある哀しい女の性(さが)が
知らず知らずにあなたを呼び求めることと知りました

呼んでも呼んでも
あなたが振り向いて下さらない時
心の中の悪鬼は火の玉となって意識なく宙を舞います
それが悋気する女の戀だと知りました

戀する心は ある日
女をとても醜くそして悲しくします
       
                   

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