あゝ 戀とは・・・
わたしの中にある哀しい女の性(さが)が
知らず知らずにあなたを呼び求めることと知りました
呼んでも呼んでも
あなたが振り向いて下さらない時
心の中の悪鬼は火の玉となって意識なく宙を舞います
それが悋気する女の戀だと知りました
戀する心は ある日
女をとても醜くそして悲しくします
わたしの中にある哀しい女の性(さが)が
知らず知らずにあなたを呼び求めることと知りました
呼んでも呼んでも
あなたが振り向いて下さらない時
心の中の悪鬼は火の玉となって意識なく宙を舞います
それが悋気する女の戀だと知りました
戀する心は ある日
女をとても醜くそして悲しくします
コメント
上から目線の可哀想、ではなくて…源氏の身勝手さ、その恐ろしさの故に、我が身に置き換えて感じてしまいます。
愛した女人誰ひとり幸せにできませんでしたね。そして自らも失って初めて何より大切だった人を知るのですよね。
…いつの間にか源氏について語ってしましました。
千年前も今も人を「戀」する気持ちは何も変わらないですね。
画像の文字は六魯さんの手書きなのでしょうか?
未だに解決できない謎、それは人に対する「戀心」だろうと思います。
紫式部は何のためにこの物語を書いたのでしょう。
今の人が何のために1千年も前のこの小説を読むのでしょう。
人の恋愛から何を学ぶのでしょう。
単なる娯楽?
戯れにひと筆したため候♪ d^^
最初の入り口に、わたしは女の子だったからやはり平安時代のお姫様に興味を持ち、それから絵巻などで観た美しい装束や風景にも興味を持ち、徐々に時代背景、人間模様、それぞれの詠まれた歌、人物その人への作者(紫式部)の眼差し…と、どんどん内側へ入って行きたくなったのだと思います。
何のため?と考えても特に確固たる何かはありませんでした。読んでいるうちに自然と惹き込まれていったんですね。
もちろん紫式部が何を意図してこの長い物語を書いたのかはわたしには解かりませんが、表向きは娯楽作品のように見せていても、そこかしこになにかメッセージ性をそっと潜ませているように感じることもあります。
少なくとも紫式部自身は恋愛至上主義ではないのだな、と感じました。
…なんて、知ったように書いてしまいましたが、現代語訳しか読んだことがないので、わたし自身ほんの表面を触ってみただけですね。
六魯さんの職業は書道の先生でしょう?
当たっていませんか?^^
どの本を読むのも取っ掛かりは人それぞれでしょうね。
本屋で立読みをしていて、タイトルに惹かれて読む場合もあるでしょうし、
人に勧められて読む場合もあるでしょう。
中には「源氏物語千年紀」といった時流で読むこともありますね。
さて、ぼくが驚くのはこれらの長編の小説を書ける作家さんの感性の持続力です。
それはもう神がその作品を書かしめたとしか思えません。
紫式部の「源氏物語」もしかりですが、
山岡荘八さんの「徳川家康」なんて文庫本23巻でしょう?
仕事の合間に読めば、半年は掛ります。
ところで人は一生の内にどれだけの本を読めるのでしょうかね。
勿論、人によって違うと思いますが、せめて中学や高校での推薦図書くらいは全部読んでおきたいと思う今日この頃です。
ぼくのお仕事ですか?
書道の先生? あはは・・・ブ~です。
絵やお花、お茶や音楽も嗜みますが、そんな教養人ではありません。
音楽なんてまったく素養のないぼくは、毎日聴いている歌でさえカラオケで歌うことすら出来ないんです♪