「せつない」 ~五粒の涙~
「せつない」を山田詠美さんはこう言う。
瞳から流れる涙、それが五粒以内なら、それは「せつない」感情。 
それ以上に流れたなら、それは「悲しい」感情なんだ、と。



 「悲しい」とか、「嬉しい」とう感情は、比較的に味わい易い。
なぜなら、それらは外的要因によって生まれるからである。
事件が起きたり、幸運が舞い込んだりして、人は涙を流して泣き、声を上げて笑う。
この感情表現は、健康な心を持った人間なら、誰でもしている。
というより、それが出来なければ、霊長類ヒト科に属している動物の証にならない。
子どもでも泣くし、笑う。 人間のごく自然な感情表現である。

 それでは「せつない」という感情はどうか。これは味わい難いものである。
外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許される感情のムーヴメントである。
まったく味わえない人もいるし、ひんぱんに味わう人もいる。
何故かというと「せつない」という気持ちに限っては、心の成長が必要だからだ。
つまり、それは大人の味わう感情なのである。

 「せつない」という感情を作りだすフィルターは、ソフィスティケイティッドされた内側を持つ大人だけが所有している。 
大人だから我慢もする。 そしてこらえ切れなくなった涙は、たった数粒だけに凝縮される。
そしてそれは、とても濃度の濃いものであり、宝石のように澄んだものである。
心の成長に比例して純度を増すもの、それが「せつない」ときの涙なのだ。

※ソフィスティケイティッド(sophisticated)=あかぬけした。見識のある。洗練された。


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