【徒然草 第175段】
百薬の長とはいへど、萬(よろづ)の病は酒よりこそ起れ (吉田兼好)
【解釈】
世間には、理解に苦しむことが多い。
何かある度に「まあ一杯 飲め」と無理に酒を飲ませて喜ぶ人がいるが、あれはどういうものだろう。
飲まされる側は「もう堪忍してぇや」と顔をしかめ、誰も見ていなかったら盃の中身を捨ててその場から逃げるつもりでいても、それを捕まえ引き止め無理やりに飲ませる。
こうなると育ちの良い人でも、突如として理性をなくしてしまう。
いくら普段は健康な人といっても、一気飲みなどすると、突然前後不覚になって倒れてしまう。
これが祝いの席だったらもう大惨事だ。
◇
翌日は二日酔いで、食欲が無くなり、うめき声を上げながら寝込む。
生きた心地もせず、飲んでいた時の記憶などまったくない。
大事な仕事のアポも全部キャンセルし、生活にも支障をきたす。
酒を飲ませてこんな目に遭わせるヤツは、人に対する思いやりなどがあるとは思えない。
そのつらい目に遭わされた本人は、恨みつらみでいっぱいだろう。
もし、日本にこういう風習があると知ったら、外国の人はこの異文化の違いを不気味に思うに違いない。
◇
まあ他人事だと言えば他人事なんだけど、酔っぱらいは傍で見ていて嫌になる。
理性があり真面目そうな人でも、ひと口アルコールが入ると、馬鹿のように笑い出し、大声で喋り出す。
髪形は乱れ、ネクタイを弛め、靴下を脱いでスネ毛を風にそよがせる。
普段のその人からは想像できない醜態だ。
女の人が酔えば、前髪をバサリとかき上げ、恥じらいもなく大口で笑い、男の盃を持つ手にまとわりつく。
もっとひどい女の人になると、傍にいる男の人に食べ物をくわえさせ、自分もそれを食べ始める。
自分のやっていることが判っているのだろうか。
無意識の行動には潜在的な欲求があるというから恐ろしい。
そして、声が潰れるまでカラオケで歌い、または身体をよじって踊る。
この見るに堪えない状況を、喜んで煽り立てる男たちがいるということ自体 鬱陶しい話だ。
◇
職場の酒席などでは酔えば傲慢になる上司もいる。
自分がいかに人格者であるか、端から聞きけば噴飯もののような蘊蓄を演説し、仕舞いには泣き上戸になる人もいる。
その部下たちは罵倒し合い、小競り合いを始め出す。
ここまで酔えば迷惑この上ない。
挙句の果て飲み屋の階段から落ちたり、帰りの車やプラットフォームから転げ落ちて怪我をする人もいる。
車に乗らない人は表通りを千鳥足で歩き、塀や道路にゲロを撒き散らす。
酒は、事故を招き、財産を奪い、身体を貪るのである。
「酒は百薬の長」と言うが、多くの病気は酒が原因だ。
また、「酔うと嫌なことを忘れる」と言うが、それはただ単に悪酔いしているだけのように思えてならない。
酒は脳ミソを溶かし、気化したアルコールは業火となる。
邪悪な心が広がって法を犯し、死後には地獄に堕ちる。
「酒を手にして人に飲ませれば、ミミズやムカデに五百度生まれ変わる」と仏は説いている。
◇
以上、酒を飲むとろくな事がないと説いたが、なにも酒が悪いのではない。
責めるのであれば、酒を飲む人の心掛けを責めるべきである。
月見酒、雪見酒、花見酒・・・。 人生の宴は酒とともにあるといってもよい。
存分に語り合って、盃をやりとりするのは、至高の喜びだ。
ひねもす徒然なる折に、朋有り遠方より来たれば、酒ありて亦楽しからずや。
百薬の長とはいへど、萬(よろづ)の病は酒よりこそ起れ (吉田兼好)
【解釈】
世間には、理解に苦しむことが多い。
何かある度に「まあ一杯 飲め」と無理に酒を飲ませて喜ぶ人がいるが、あれはどういうものだろう。
飲まされる側は「もう堪忍してぇや」と顔をしかめ、誰も見ていなかったら盃の中身を捨ててその場から逃げるつもりでいても、それを捕まえ引き止め無理やりに飲ませる。
こうなると育ちの良い人でも、突如として理性をなくしてしまう。
いくら普段は健康な人といっても、一気飲みなどすると、突然前後不覚になって倒れてしまう。
これが祝いの席だったらもう大惨事だ。
◇
翌日は二日酔いで、食欲が無くなり、うめき声を上げながら寝込む。
生きた心地もせず、飲んでいた時の記憶などまったくない。
大事な仕事のアポも全部キャンセルし、生活にも支障をきたす。
酒を飲ませてこんな目に遭わせるヤツは、人に対する思いやりなどがあるとは思えない。
そのつらい目に遭わされた本人は、恨みつらみでいっぱいだろう。
もし、日本にこういう風習があると知ったら、外国の人はこの異文化の違いを不気味に思うに違いない。
◇
まあ他人事だと言えば他人事なんだけど、酔っぱらいは傍で見ていて嫌になる。
理性があり真面目そうな人でも、ひと口アルコールが入ると、馬鹿のように笑い出し、大声で喋り出す。
髪形は乱れ、ネクタイを弛め、靴下を脱いでスネ毛を風にそよがせる。
普段のその人からは想像できない醜態だ。
女の人が酔えば、前髪をバサリとかき上げ、恥じらいもなく大口で笑い、男の盃を持つ手にまとわりつく。
もっとひどい女の人になると、傍にいる男の人に食べ物をくわえさせ、自分もそれを食べ始める。
自分のやっていることが判っているのだろうか。
無意識の行動には潜在的な欲求があるというから恐ろしい。
そして、声が潰れるまでカラオケで歌い、または身体をよじって踊る。
この見るに堪えない状況を、喜んで煽り立てる男たちがいるということ自体 鬱陶しい話だ。
◇
職場の酒席などでは酔えば傲慢になる上司もいる。
自分がいかに人格者であるか、端から聞きけば噴飯もののような蘊蓄を演説し、仕舞いには泣き上戸になる人もいる。
その部下たちは罵倒し合い、小競り合いを始め出す。
ここまで酔えば迷惑この上ない。
挙句の果て飲み屋の階段から落ちたり、帰りの車やプラットフォームから転げ落ちて怪我をする人もいる。
車に乗らない人は表通りを千鳥足で歩き、塀や道路にゲロを撒き散らす。
酒は、事故を招き、財産を奪い、身体を貪るのである。
「酒は百薬の長」と言うが、多くの病気は酒が原因だ。
また、「酔うと嫌なことを忘れる」と言うが、それはただ単に悪酔いしているだけのように思えてならない。
酒は脳ミソを溶かし、気化したアルコールは業火となる。
邪悪な心が広がって法を犯し、死後には地獄に堕ちる。
「酒を手にして人に飲ませれば、ミミズやムカデに五百度生まれ変わる」と仏は説いている。
◇
以上、酒を飲むとろくな事がないと説いたが、なにも酒が悪いのではない。
責めるのであれば、酒を飲む人の心掛けを責めるべきである。
月見酒、雪見酒、花見酒・・・。 人生の宴は酒とともにあるといってもよい。
存分に語り合って、盃をやりとりするのは、至高の喜びだ。
ひねもす徒然なる折に、朋有り遠方より来たれば、酒ありて亦楽しからずや。
コメント
こんばんは 夜になってやっと 風が出てきて
外は涼しくなりました。家の裏の田んぼも麦刈りが終わり
後は 田植えです。
お酒は 人間変えちゃうかもですね。
どんな紳士でも 酔って自分がわからなくなるような人って
もう ガッカリです。そんなバカ呑みするなって感じです
女性もそうです 調子乗って呑んで
トイレに駆け込麦刈りような人 男性に絡みつく人
私の友達には いないな。まっ 歳も歳だからね(笑)
ちなみに 私 よそで呑んでも酔えないんです。
お店だと 醜態見せちゃいけないって神経つかってるのかも。
間違ってしまった トイレに駆け込む人です。
麦刈りじゃないです ごめんなさい
美雨さんの内臓は解毒作用が強いのでしょうか?
それとも緊張しているからアルコールの回りが緩やかなんでしょうか?
どちらにしても、緊張が解けた時にドッとアルコールが回るから気を付けて下さいね。
香西かおるの「すき」、ずっと聴いています。
いい歌ですね。
美雨さん、「トイレに駆け込麦刈りような人」?
あはは・・・農作業のことばかりが頭にあるんじゃない?
トイレの中でまで麦刈りをしなくてもいいですよ♪
頭の中 農家のことでいっばい?
いやいや とんでもない
毎日時間で動いてる人なんですよ。
私って 少しぬけてるとこあるから
友達に大丈夫?って言われます。
あはは…
六魯さん (^∇^)「すき」聴いてくれてるのですか
いいでしょ♪ 控えめな女性って感じしません?
可愛い女性ですよね。
「遠く離れていても 見つめている事を感じてくれるならいつの日かだきしめて」
ここの歌詞が好きです。
恋をしている人が恋愛小説を書けるのではなく、
その恋が終わって、冷静に見れるようになってからが、人が感動する小説が書ける、と言われます。
森鴎外に「舞姫」という自序小説がありますが、あの文学を書かせしめたのは、森林太郎の懺悔でも恋心でもなく、エリスへの恋する気持ちの完全なる終焉ではないだろうか。
香西かおりが詩を書いたというこの「すき」という歌も、彼女が自分の恋を思い出し、涙を流しながら歌えば、聴く我々も却って冷めてしまいます。
「・・・すき」と淡々と、冷静に歌うので、視聴者がわが身に置き換えて聴けるのだと思います。
美雨さんはそれを「 控えめな女性、可愛い女性」と感じるんですよ。