BUSHIDO The Soul of Japan
 日本の学校には、諸外国のように宗教教育がない。
では日本人は何をベースに、子弟子孫に道徳教育を教えるのか。
国教のない日本で、善悪の観念を授ける宗教以外のものとは何か。

 わが国には、親から子に、子から孫に、年長から年少に伝えてきた無形の道徳教育があり、人の道たる教育は、学校で教えるものでも、教わるものでもないとしている。

「きちんと挨拶をする」
「家族を大切にする」
「弱い者いじめをしない」
「恥を知る」
「人を裏切らない」
「恩を忘れてはいけない」
「我慢する・堪え忍ぶ」
「矜恃に生きる」
これらは「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」の精神である。



 実はこれらは「武士道」の道徳律なのだ。
宗教教育のない日本には、これが精神の基本となっている。
「武士道」には教本がない。
教本によらずとも日本人は、これを自然な形で受け入れ、それが道徳となり、日本人の行動の美学となっている。

 武士道の精神は、ひとりの特定された人が編出したものではなく、日本の武士社会の成長とともに、口伝えされて格言のようになったもので、侍だけでなく、広く一般庶民にも浸透し、やがて歴史の中で、「大和魂」すなわち日本の魂となっていった。
 キリスト教における聖書や、仏教における経典のような成文化された書物があるわけでもないのに、この自己規律の不文律は、何百年にわたって日本人のDNAに刻まれ受け継がれてきた。

 「武」とは「戈(ほこ)を止める」と書く、と教えられた。
だから真に強い者は戦わずして勝つ、とも教えられてきた。
その精神を「武士(もののふ)」と言う、と日本人なら普通に理解できるし知っている。



 東日本大震災における日本人被災者の立ち居 振る舞い、
不可避なものへの静かな服従、災難を目前にした時の禁欲的な平静さ・・・
我々日本人は、書いた書物はなくても「どう行動すれば人間は美しいのか」を本能で認知している。

3・11。
世界で古今未曾有の災害に遭っても、日本武士道は崩れなかった。

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